2010年3月26日金曜日

建築家白井晟一邸(虚白庵ーこはくあん)解体直前の見学会


白井晟一(明治38年(1905年)2月5日 - 昭和58年(1983年)11月22日、享年79才)という建築家は今の若い建築家には最早記憶に薄い存在ではないかと現地に赴いたが、以外に若い人達が沢山列をなして、雨の降る中を見学会に参加していることに驚きました。終戦の時には既に40才という年齢でしたが戦中のこともあり、作品は少ない。京都高等工芸学校を卒業後、早々にドイツのベルリン大学に留学し哲学科に入学した。1935年には帰国して、少数ながら白井流とも言われる住宅や別荘を設計し、現存しているものもある。この度解体が決定された建築は白井晟一の自邸であり、1970年、昭和45年完成のものであるが、作品系列から言えば後期に属した円熟した時期の作品といえよう。20年位前に近くに住む上司の自宅を訪問した時に外観だけでも見たいと思い、尋ねたことがある。交通量の多い環状八号線沿いに建つ建物はコンクリート製の高くて分厚い土塀風の塀に囲まれ、入口の堅固な鉄製の門を通して玄関の扉をかいま見る事しかできず、外部から身を閉ざした孤高な建築家の風貌を表しているように感じた。戦後の住宅建築としては特異な評価を得ているこの住宅が何故に解体に至ったかには解せないものを感じていたが、白井晟一の住宅の内部空間を体験することは得難い機会であった。既に白井事務所として住んでいた後継者子息も退去し、家具もなく照明もなく暗闇の中で絨毯床に残った家具の後が寒々しく感じられた。床も壁も仕上材としては絨毯が使われているこの空間の中で、白井が集めた東洋的な家具、陶磁器、仏頭等が配置されていた空間の雰囲気を想像することは難しい。しかし、この見学による空間体験は私の白井建築の理解には大きな意味を持ったように思う。当日の雨天の中での弱い外光を通して撮影した写真を掲載しておきます。
最後に白井作品集の中から往年の室内空間の写真を転載しますので、参考にして下さい。

「白井晟一作品集」より転載。
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滴々居(旧白井邸、設計・施工:1951 年-
延床面積:129.9 ㎡ (主屋:67.0 ㎡・附属棟:17.4 ㎡・別棟:45.5 ㎡)
構造: 木造平屋



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